HARUSAME
HISTORY
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Vol.1
『春雨ブランド誕生秘話とあゆみ』
「希望と恵みこそが今の沖縄には必要だ」
沖縄本土復帰50年の今だからお話をしたい「春雨」の誕生についてお話をしましょう。
今から78年前、昭和20年(1945年)の焦土と化した沖縄の地。
初代(祖父)と先代宮里武秀氏(現社長徹氏の父)は空襲の悲惨な境遇から生き残り、那覇の地 に立った。 それは余りにも無残で言葉に絶する光景であった。「何も無い。何も無いんだ。」
時折降りしきる沖縄特有の片降いの雨に、言葉無く呆然と立ち尽くす宮里氏の頬には雨とも分からない無常の涙が止めどなく流れた。
そして独り言のように心の叫びを言葉にした。
「希望と恵みこそが今の沖縄には必要だ」
「春の芽吹きは希望。雨は恵みの雨だ。私達の心を清め潤してくれるこの雨から、 私達は生きるための芽吹きをしなければ」
「もう立ち止まってはいられない。明日から希望の恵みとなる。人々を幸せにする泡盛造りを始めよう。」
こうして春雨は誕生しました。
春雨を口に含む時、沖縄の希望と光に、揺らいでいくその味わいに、想いを巡らせてみてください。
今から78年前、昭和20年(1945年)の焦土と化した沖縄の地。
初代(祖父)と先代宮里武秀氏(現社長徹氏の父)は空襲の悲惨な境遇から生き残り、那覇の地 に立った。 それは余りにも無残で言葉に絶する光景であった。「何も無い。何も無いんだ。」
時折降りしきる沖縄特有の片降いの雨に、言葉無く呆然と立ち尽くす宮里氏の頬には雨とも分からない無常の涙が止めどなく流れた。
そして独り言のように心の叫びを言葉にした。
「希望と恵みこそが今の沖縄には必要だ」
「春の芽吹きは希望。雨は恵みの雨だ。私達の心を清め潤してくれるこの雨から、 私達は生きるための芽吹きをしなければ」
「もう立ち止まってはいられない。明日から希望の恵みとなる。人々を幸せにする泡盛造りを始めよう。」
こうして春雨は誕生しました。
春雨を口に含む時、沖縄の希望と光に、揺らいでいくその味わいに、想いを巡らせてみてください。

『春雨の歩み』
宮里酒造は琉球泡盛のメーカーとして、昭和21年(1946年)に沖縄那覇、小禄の地に創業しました。
1975年EXPO75沖縄海洋博覧会開催の際には皇太子に献上される美味しい酒と名を博しましたが、二代目蔵元宮里武秀氏は酒造協同組合などへの桶売り販売のみを行っていました。
平成元年(1989年)に現三代目蔵元の宮里徹氏が蔵に入り、酒造りを見直し、自社ブランドの販売に着手しました。
1975年EXPO75沖縄海洋博覧会開催の際には皇太子に献上される美味しい酒と名を博しましたが、二代目蔵元宮里武秀氏は酒造協同組合などへの桶売り販売のみを行っていました。
平成元年(1989年)に現三代目蔵元の宮里徹氏が蔵に入り、酒造りを見直し、自社ブランドの販売に着手しました。
平成12年(2000年)の沖縄サミットでは、首里城内で催された晩餐会にて各国の貴賓に泡盛が振舞われる事となり、この晩餐会に振舞われるお酒を決める選考会で『春雨』は第一位となりました。
こうして、沖縄の地に「希望と恵みをもたらそう」と生まれた 『春雨』は泡盛の銘酒としてその名が知れ渡る事となりました。
こうして、沖縄の地に「希望と恵みをもたらそう」と生まれた 『春雨』は泡盛の銘酒としてその名が知れ渡る事となりました。
生産量より酒質にこだわり、年間の生産量も決して多くないこの蔵の生み出す泡盛は『幻の泡盛』とか 『レアな泡盛』と人々に呼ばれるようになり、 今日に至るまで多くの春雨ファンに愛される酒となったのです。
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