沖縄県在来米『羽地赤穂(はねじあかふ)』を使用した”粟盛”を
shimmer#10では、うるち粟と県産ひとめぼれを利用した“粟盛”の復活をテーマとして製品づくりを行いました。 “粟盛”を企画する中で、当時栽培されていたであろう沖縄在来米を利用した”粟盛”を製造したい、という想いも同時にありました。 在来米を探すにあたり、沖縄県農業研究センターやJAなどをはじめとする農学に関係する機関に問い合わせてみましたが、経済作物として栽培農家が少なくなった在来米に関する情報は極めて少ないものでした。
仲村渠稲作会の協力で実現した在来米の“粟盛”
そんな中、沖縄の稲作発祥の地と言われている仲村渠地区の稲作会が在来米の栽培を行っているという情報を得ました。 稲作会の活動は仲村渠地区で行われる豊年祭で利用する綱引きの綱を作ることが目的でスタートしたものでした。 しかし、現在沖縄在来米の一つである羽地赤穂を極少量、商業的に販売していることもわかりました。 稲作会の方に粟盛での羽地赤穂の利用について相談したところ、年間100キロほどの収穫量の中で一部を譲っていただけるという事になり、ただ単純に米を販売してもらうだけでなく、我々shimmerチームは今回の製造を担当する忠孝酒造と一緒に稲作会の活動に参加、そして会の活動を取材させていただくことにしました。
地域の皆さんといっしょに行った田植え
2023年4月に南城市仲村渠の田んぼに30名ほどの老若男女が集まりました。 稲作会を中心とした地元の方に加えて、我々shimmerの関係者と忠孝酒造のメンバーも加わります。
まずは田んぼに木の枠組みで出来た回転式定規「ヤーマ」を転がし、苗を植える目印を付ける作業が始まりました。
目印をつける作業と並行して隣の苗代田(なわしろだ)で育てられていた苗を回収していきます。
そして、回収した苗は数十本をまとめて1つの束にしていきました。
最初は長靴を履いて田んぼの中に入っていきましたが、うまい具合に靴を抜かないと、田んぼに靴がハマってしまうことも多く、このあたりから素足で作業する方も多くなります。
小池の苗をまとめる作業を2時間弱ほど行うと、次は束にまとめた苗を先程目印を付けた田んぼにバランスよく配置していきます。
そして、田植え参加者が田んぼの端に1列に並び、各々苗の束を手に持ち田植えが始まりました。
最初にゴールーで付けた目印、交点に当たる箇所に等間隔に植え付けを行います。 手に持っている苗の束がなくなると、先程田んぼに配置した束を回収して植えるという作業を繰り返します。
田植えを行っていると、自分の進行方向に植えた苗があるので、体の向きを180度回転させて、足をまだ植え付けされていないエリアに入れる必要がありますが、その時に足を取られるため、バランス良く動く必要があります。 また、屈んで作業するため普段使わない体幹の筋肉を使っていることがよく分かります。
こうして端から端まで田植えが終わり、最後は仲村渠樋川(ヒージャー)で泥を洗い落としました。
3ヶ月後の稲刈りと脱穀
2023年7月、稲刈りのためふたたび仲村渠の田んぼへ訪れました。
稲刈りは手作業で鎌を使用して刈っていきます。
ある程度刈ったものを運びやすいように細く束ねた藁で縛ります。
1時間半ほどで稲刈りは終了、次に場所を近くの脱穀の作業をしていきます。
脱穀機は昔ながらの足踏み式のものと足踏み式のものにモーターを取り付け、半電動化したものを使用します。
真ん中の扱胴(こぎどう)(円柱部分)に逆V字型の針金がついており、ここを回転させながら穂先を当てると稲穂が巻き込まれて脱穀されていきます。
脱穀機でにかけたものにはまだわらくずが混ざっているため、バーキ(沖縄地方におけるざるの総称)を使用して大まかに籾とわらくずをふるいにかけます。
そして、手動式の唐箕 (とうみ) でさらに細かい籾殻や藁屑を吹き飛ばします。
そして、手動式の唐箕 (とうみ) でさらに細かい籾殻や藁屑を吹き飛ばします。
藁は束ねられ、ガードレールに干していきます。
お昼過ぎには稲刈りから脱穀まで終えることができました。
お昼過ぎには稲刈りから脱穀まで終えることができました。
綱作りと大綱曳き
7月、豊年祭が始まる前の仲村渠地区に訪れました。 ちょうど昼休憩に入るところでしたが、何十名もの地元の方が公民館の前で綱を作っています。
道路には何百メートルもの長さの直径10センチほどの綱が編まれており、約2週間後に行われる祭りの熱気をヒシヒシと感じます。 その日は作業の邪魔にならないよう、1時間ほどでお邪魔しました。
それから8月に入り、祭りの当日。綱曳きの時間が近づくと、公民館の中から巨大な綱が姿を現しました。
以前来訪した際は10センチ前後だった綱が編み込まれ、大人の顔より大きな綱に形を変えています。集落の男手が十数人で抱えて綱を会場に運び入れます。
2本の綱が道路に設置された後には地元の住民による演舞が始まりました。独特の鐘のリズムがループし、演舞が日が暮れるまで繰り返されます。
周囲で見ていた人の数も増え、祭りの熱気も最高潮に達してくると、松明を手にした人を先導に、それぞれ2本の綱の先端が公民館の前に運び込まれていきます。
綱が接触すると、先端の輪っかに棒を使い微調整しながらもう1本の綱を通していきます。
そして通された輪の中に1本の太い丸太を通した瞬間、持ち上げられていた結合部が地面に落とされ綱曳きが始まりました。
2回に渡る綱曳きを行い、祭りが終わりに向かっていきました。
仲村渠稲作会から提供された粟で行う”粟盛”製造
こうして2期作を行い、忠孝酒造の設備における最低量以上の羽地赤穂が確保され、2024年の3月に羽地赤穂を利用した粟盛製造が始まりました。
シー汁浸漬を行い、“ひとめぼれ”と“粟”と“羽地赤穂”を混ぜ合わせた状態ですが、一目では米の違いは分かりません。
甑で蒸していく作業を行いますが、遠目には粟の黄色さが印象的です。 そして蒸し終わった米と粟に黒麹菌の種付していきます。4種類の麹を混ぜ込んでいき、この日の作業は終わりました。
翌月、在来米を利用した“粟盛”の蒸留へ
2024年4月に忠孝酒造の井上さんから蒸留を行う旨の連絡がありました。
バーナーに火が入れられ、焦げ付きを防ぐために釜の中を撹拌していきます。 火を入れて数十分待機しながら温度計が90度に差し掛かると、メートルボックスに動きがありました。
それから数秒後には“粟盛”の初垂れが蒸留され、shimmer#10の粟盛から再び忠孝酒造で粟盛が製造された瞬間です。 初留の香りも#10同様スッキリした味わいとなり、華やかでフルーティーな仕上がりになっていました。
大正時代に泡盛の調査をした田中愛穂によると、当時の首里の酒屋は粟を用いると風味香気が優良なる泡盛が得られるという話があったということです。 そして、その当時の評価を証明するかのように、shimmer#10の粟盛はフランスで行われる酒類品評会「Kura Master2024」において、審査員賞という部門最高賞を受賞しました。 琉球王朝時代の粟盛を復活させる、というテーマを元に仲村渠稲作会の協力を得て実現した“shimmer#21 粟盛“がどのような酒になっていくのか、期待が高まります。